コラム

2024.03.12

日本の「日本」とアメリカの「日本」

成田龍一
日本女子大学名誉教授

奇妙なタイトルを付けたが、日本における日本研究と、アメリカにおける日本研究との関係の考察である。前者――ナショナルヒストリーとしての「日本史」は、アメリカでは地域研究――外国史として考察されるが、両者のあいだにはいかなる関係が生じているかということである。

そのことをめぐって、もう30年も前となるが、アメリカの大学で教鞭をとっていた酒井直樹さん、タカシ・フジタニさんとともに「アメリカの「日本」―アメリカからの声」と題する鼎談をしたことがある(『現代思想』(1995年9月))。おりから、日本とアメリカの歴史学研究があらたな動きを見せていた時期であり、1990年代中葉の意義を探ることを目的としていた。そして、アメリカにおける日本研究の軌跡として、「3つの潮流」を確認する。

A 近代化論:マリウス・ジャンセン、細谷千博編『日本における近代化の問題』(1968年)の諸論稿がその内容をよく示している。
B 近代化論批判:金原左門『「日本近代化論」の歴史像』(1968年、増補版第二版、1974年)が、ピーター・ドゥース、入江昭、テツオ・ナジタらを紹介している。鼎談で、フジタニは「コンフリクト」の歴史研究(とくに一揆研究)であることを強調した。
C 近代批判:「日本」という対象自体を問う研究であり、啓蒙主義批判でもある。ハルトゥーニアンが代表的であり、酒井がこの方向を推進する。

このとき、鼎談において、日本においても3つの潮流があることをあわせ議論した。
A 戦後歴史学:遠山茂樹、井上清、家永三郎、永原慶二
B 民衆史研究:色川大吉、鹿野政直、安丸良夫、ひろたまさき
C 現在進行形であり、まだ「名無しのスクール」

ことは「戦後」の枠組みと対応している。すなわち「戦後」の枠組みをなぞる(A)、その修正としての(B)、その双方を批判し、「戦後」を相対化する(C)という関係のもとでの動きである。アメリカと日本でのⅢが互いに共振することが、鼎談での指摘の眼目であり、「国境」と「専門」のふたつの境界からの越境によって、国民国家=近代の枠組みが問題化される、との認識であった。だが、かかるCの動きに対し、日本においてはAおよびBからの反発も強かった。日本においては、まだAおよびBが圧倒的主流であり、Cへの忌避が強かった。他方、アメリカではCへの方向が目立っている、というのが鼎談に臨んだときの私の実感であった。

その様相を鼎談ののちに刊行された著作――アンドルー・ゴードンが編集した “Post War Japan as History”(カリフォルニア大学出版、1993年)において探ってみよう。日本語訳は、『歴史としての戦後日本』(上下、みすず書房)として、2002年に刊行されたが、英語版と日本語版では「戦後日本」の歴史像にかなりの温度差がある。

英語版が4部立てで、それぞれタイトルが付されていたのに対し、日本語版では3部立てで、タイトルを省いている。なによりも、収録された論文が、英語版16本のうち、日本語に翻訳されたのは9本にとどまる。PART I. CONTEXTSからはすべて翻訳、PART II. POLITICAL ECONOMYおよび、PART IV. DEMOCRATIC PROMISE AND PRACTICEからは2本が翻訳されていない。PART III. MASS CULTURE AND METROPOLITAN SOCIETYは、採録が1本のみとなっている。

すなわち、英語版から省かれたものは、5章(ガリー・アリンソン The Structure and Transformation of Conservative Rule)、7章(コウジ・タイラ Dialectics of Economic Growth, National Power, and Distributive Struggles)(以上Ⅱ)、9章(マリリン・アイビー Formations of Mass Culture)、10章(チャールズ・ユージ・ホリオカ Consuming and Saving)、11章(キャサリン・ウノ The Death of “Good Wife, Wise Mother”?(以上Ⅲ)、13章(サンドラ・バークレイ Altered States: The Body Politics of “Being-Woman”)、16章(ジェームズ・ホワイト The Dynamics of Political Opposition)である(以上Ⅳ)。

この結果、日本語版の目次は、

【上巻】「序論」+「日本語版のための書下ろし」(1999年)(アンドルー・ゴードン)

    第一部「二つの「体制」のなかの平和と民主主義――対外政策と国内対立(ジョン・ダワー)」

       「世界システムにおける日本の位置」(ブルース・カミングズ)」

       「現在のなかの過去(キャロル・グラック)」

    第二部「成長即成功か――歴史的にみる日本の経済政策(ローラ・ハイン)」

       「社会契約の交渉(シェルドン・ガロン/マイク・モチズキ)」

【下巻】第三部「都会における場の発見――イデオロギー、制度、日常生活(ウィリアム・ケリー)」

       「社会的弱者の人権(フランク・アパム)」

       「職場の争奪(アンドルー・ゴードン)」

       「知識人と政治(J・ヴィクター・コシュマン)」

       「監訳者あとがき(中村政則)」

という構成となる。

日本語版における「政治経済」と「社会構造」への関心の高さとともに、それに反する「文化」「メディア」への関心の低さ、生活史やジェンダーの稀薄さがうかがえる。また、日本語版においては1960年代の高度経済成長を肯定的に扱い、英語版での経済成長の政策に対する批判が弱い論稿を落としている。英語版が高度経済成長を肯定のまなざしでみすえたうえで論点を提出する姿勢を有するのに対し、日本語版は「悔恨共同体」(敗戦後の民主主義)を基準として再構成されている。英語版の部立てと章の並びは変更されていないものの、英語版のⅢの動きが、日本語版ではⅡに近似したⅠに回収されているように映る。英語版は、現代・分析としての戦後・日本史像であり、日本語版は、近代史の延長としての日本・戦後史像として映る。「日本の日本」と「アメリカの日本」との温度差がうかがえるのである。

本書から、いまひとつの例を挙げてみよう。ヴィクター・コシュマン「知識人と政治」は、a「知識人と民主革命 1945-55年」、b「安保危機の時代の知識人 1955-65年」、c「管理社会における抵抗と理論 1965-75年」、d「ポストモダンの両義性とニューアカデミズム 1975-88年」という構成をもつ。 ab(「戦後日本」)とともに、cd(「現代日本」)にも言及していること、(前者の基調をなす)「マルクス主義」とともに、(後者を代表する)吉本隆明、山口昌男らへの目配りを有していることが特徴的である。

日本における「日本」が基本的に「戦後思想」に立脚し、「現代思想」に冷淡であったことは、たとえば『展望 日本歴史24 思想史の発想と方法』(東京堂出版)が2000年の刊行にもかかわらず、ABになじみの深い対象の考察にしか目を配らず、分析方法においてもCを圏外に置いていることによく見て取れよう。

このことに反するように、コシュマンは「戦後民主主義、そして普遍的な知と啓蒙の管理人としての知識人の役割への幻滅」を指摘する。「左翼ナショナリズム」(吉本隆明、谷川雁)と「右翼ナショナリズム」に着目し、小田実による「「国家民主主義のシステム」が非人道的である」との指摘に管理社会批判を見出す論稿を提供している。

さらにコシュマンは、1980年代の議論をも分析対象とし、「新保守主義的なポスト戦後文化評論」を批判し、それらが「戦後日本思想だけでなく近代思想や近代文化一般を拒絶しながら、「国際化」を固有の文化遺産の強調と結びつけた」との見解を示す。「ニューアカ」によって「知識人と大衆という戦後の二項対立が浸食」されこと自体を問題化し、「ポストモダンの両義性」を論じた。かかる対象までをも歴史学の議論として提供するアメリカの「日本」に対し、日本の「日本」はなんとも及び腰である。不幸なことに、この温度差は、30年を経た2020年代の<いま>でも変わっていないように思う。