コラム

2023.01.13

平成を振り返る

高橋慶吉
大阪大学大学院法学研究科教授
本拠点兼任教員・運営委員

今年2023年は、平成が終わり、令和となって5年目の年に当たる。まだ平成を歴史として客観的に見るには早すぎるかもしれない。しかし、令和という元号も定着する中、少し落ち着いて平成を振り返ることができるようになっているとも感じる。

筆者は、アメリカ外交を主として研究してきた者であり、平成について語れるような研究上のバックグラウンドを持っているわけではない。だが、日本、もしくは日本学に関係することであれば何でもよいという編集者のお言葉をそのまま受けとり、ここでは平成という時代について私見を述べたいと思う。というのも、いわば「場外」から支配的な平成論を見ていて、どうも腑に落ちないところがあるからである。

その点を具体的に示す前に、平成という時代に関する基本的な事実を押さえておきたい。平成は、1989年1月7日の昭和天皇の崩御を受け、皇太子明仁親王が皇位を継承し、始まった。皇位を継承することになったとき、明仁親王は55歳であった。決して若いとは言えない年齢であったが、天皇となってから30年という長きにわたり、その重責を担い、2019年4月30日に退位、それに伴い平成も幕を閉じた。

平成が始まったころ、日本はバブル経済に沸いていた。だが、数年後にははじけ、日本経済は長期の不況に突入する。阪神淡路大震災や東日本大震災など、平成の30年間には大型の自然災害も頻発した。阪神淡路大震災が起きた平成7年(1995年)には地下鉄サリン事件も起きている。政治も安定しなかった。短命政権が多く、平成の30年間で首相職を務めた政治家は17人にのぼる。

これら事象に注目し、経済、社会、政治、どれもうまくいかなかったというのが支配的な平成論の論調である。「失われた30年」とか「失敗の時代」とか、平成に関する否定的な表現を挙げればきりがない。

ただ、こうした議論で外交の問題が正面から取り上げられることは少ない。周知のように、平成を含む戦後の日本外交の基軸はアメリカとの同盟関係にある。日本が安全を守り、繁栄を築くうえで、それがもっとも信頼できる強力な国際的枠組みだからである。戦後日本外交を評価する指標としてはさまざまなものが考えられようが、アメリカとの同盟関係を安定的に運営できたかどうかという点がその1つになることにあまり異論はないだろう。

この観点から考えると、平成の日本外交には見るべき点が大いにある。たしかに、平成の前半期には「同盟漂流」と言われたことがあったし、平成21年(2009年)9月から翌年6月まで続いた鳩山由紀夫政権のときには沖縄普天間にある米軍基地の移設の問題をめぐってアメリカとの関係がひどく緊張した。だが、これら混乱が長続きすることはなく、日米の同盟関係はさらなる強化の方向へ向かう。2度のガイドラインの見直しや安倍晋三政権のもとで進められた平和安全法制の整備をとおして、日米の同盟関係はいわゆる「物(基地)と人(軍隊)との協力」関係から「人と人との協力」関係へと飛躍的に発展したのである。

明治から平成までの4つの時代において、日本が戦争を直接経験しなかった時代は平成のみである。その意味で、平成ほど日本が平和であった時代はない。だが、日本を取り巻く国際環境が安定していたわけでは必ずしもない。むしろ北朝鮮の核・ミサイル開発や中国の海洋進出など昭和の時代までは見られなかった周辺諸国の動きにより、国際環境は悪化し続けたとも言える。そうした展開を許したという点で日本外交には反省すべき点があるかもしれない。だが、アメリカとの同盟関係を強固なものとし、平成を戦争のない時代にしたという点でそれは高く評価されるべきなのである。

そうした外交を展開することができた1つの重要な理由は、日本国内の民主主義体制の安定にあったはずである。上で述べたように、短期政権が続くなど、たしかに政治は安定しなかった。だが、日本国憲法に規定された日本の民主主義体制が揺らぐことは一度としてなかった。一昔前であれば、それは当然のことと見られたかもしれない。だが、アメリカにおいてさえ、深刻な憲法体制の危機が生じうることを2021年1月6日に目撃したわれわれにとって、そうした見方をとることはもはや難しい。

平成日本は長期の政治的、経済的、社会的不調の中で民主主義を守り抜いた。そのことは、民主主義の退潮が多くの国で見られるだけに、日本にとってはもちろん、世界にとっても大きな意味を持つに違いない。

平成論の文脈で忘れてならないのは、憲法に規定された民主主義体制に対するもっとも熱心な支持者の1人が明仁天皇であったということである。そのことは、天皇が象徴としての役割を実に忠実にこなした事実によく表れている。

憲法に規定されているとおり、天皇は政治的権能を持たない。だが、同じく憲法に明らかなように、天皇の象徴としての役割は日本の民主主義を機能させるうえで欠かせない。明仁天皇は、それを忠実にこなすことで平成日本の民主主義体制の安定に多大な貢献を成したのである。加えて、国内の安定が強力な外交を展開するうえで欠かせない条件であることを考えれば、明仁天皇は間接的ながらアメリカとの同盟関係の発展にも寄与したと言える。

平成という元号には、「国の内外」に「平和が達成される」という意味がこめられているという(改元に際しての首相談話)。戦争がなく、国内の民主主義体制が安定していたという点で平成はまさに平和な時代であった。平成にかわる新たな元号として令和を発表した談話で安倍首相が、「文化を育み、自然の美しさを愛でることができる」日々に「心からの感謝の念」を表明することができたのはそのためであろう。令和の時代においては、そうした平成の遺産を継承しつつ、支配的な平成論で指摘されているさまざまな問題の解決にあたらなければならない。そのためには、令和という元号にこめられている意味のとおり、人々が美しく心を寄せ合うことが必要だろう。それができたとき、やはり令和にこめられている意味のとおり、新しい文化が花開くに違いない。